東北地方大震災の近況報告(第7報)5月11日付 |
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〜津波に備えた先人の警鐘と知恵、脱線を免れた 新幹線早期地震検知システムの紹介を中心に〜 |
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(震災ボランティア)
この大型連休中、宮城県内の震災被災地を訪れた災害ボランティアは延べ3万5千人に上ったそうです。
(震災復興会議)
この連休中に宮城県の「県震災復興会議」(議長:小宮山宏元東大総長)、仙台市長を本部長とする「震災復興推進本部会議」、首相の諮問機関「復興構想会議」などが相次いで開かれ、各委員の被災地視察がありました。
(資本ストックの被害額推計)
日本政策投資銀行が、今次大震災被災4県の資本ストックの被害金額を県別/内陸・沿岸別に推計し、4月28日にリリースしました(福島第一原発事故がもたらした様々な被害は含まれていません)。
これによりますと、4県合計で16兆4千億円、うち、宮城県の被害額は6兆5千億円と推計しています。県の本年度一般会計当初予算8.400億円の実に7.7倍強です。
(市内の最近の状況)
相次ぐ震災訃報広告
新聞用紙を主力とする日本製紙の被災(岩沼工場は一部復旧しましたが、石巻工場は電気系統を中心に激しく損傷し、さらに地盤沈下と高潮被害が続き復旧見通しが立っていません)の影響もあり、河北新報は今でも多い日で22ページです。
赤のスッテカー「危険」の立ち入り禁止建物
これまで内陸部の被害状況については、沿岸部の津波被災が甚大であっただけに、丘陵地の「山津波」を除けばライフラインや交通インフラの損傷情報が報道される程度でありました。
丘陵地帯の「山津波」被害について第3報で触れましたが、その後市が市内の宅地1.830ヵ所の地盤状況調査を行った結果、地滑りや地殻変動が目立ち危険と判断される宅地が330ヵ所あることが分かりました。避難を余儀なくされている地域も多くあります。
また、危険宅地外でも、立ち入り禁止の「危険」(赤いスッテカーが貼ってある)建物が約1.000件、亀裂や落下が心配される「要注意」(黄色いスッテカー)建物が約2.000件あるとのことです。
公共施設の被害が甚大、全ての音楽ホールが閉館
東京エレクトロンホール宮城(県民会館)、仙台市民会館、イズミティー21、仙台市青年文化センター、各区にある文化センターなどの展示ホールや音楽ホールは軒並み天井落下や配管損傷の被害を受けました。
なお、仙台フィルは暫く仙台での定期演奏会が開けないため、サントリーホールをはじめ全国各地に招かれ震災復興支援コンサートを開いています。
また、今週から数度に分け、世界的なピアニスト小山実稚恵さんが宮城など被災県の津波被災地避難所等を回ってピアノ演奏を届けて歩くそうです。
大学の施設被害拡大、研究活動に支障
各大学は、新幹線など交通網の再開によりこの連休明けから学部ごとの入学式を行うなど新年度が始まりました。
都市ホテルの半数は未だ宿泊再開できず
ホテルにも建物や設備などに被害を与え、営業を再開できたホテルも1ヵ月以上の休業を余儀なくされました。
郊外型大型店の脆さ露呈
揺れによる郊外型大型店の建物被害が相次ぎ、落下物によって死傷者も出たところから、空間を大きくとった鉄骨造りやつり天井の脆さが露呈し問題になっています。
被害状況を見て歩きましたが、イオン、西友などのショッピングセンター、生協などのスーパーマーケット、泉区や宮城野区のアウトレット、ニトリや東京インテリア家具、ヤマダ電機やケーズデンキなどの家電量販店、ホームセンターなど数え上げられないぐらいです。
天井、つり天井、窓ガラス、横壁が崩壊し落下、未だに営業再開の見通しが立たない店舗もあります。
ヤマダ電機は東北の112店が被災し、うち51店が営業停止に陥ったそうです。
国交省も関心を寄せており、今後建築基準法改正の有無を含め検討の対象になりそうです。 なお、市内にはシネマコンプレックスが6館ありますが、営業を再開したのはまだ2館に過ぎません。
未だ続く多くの道路不通
市内内陸部の県道、市道は6日現在まだ60ヵ所が不通です。
避難所に2.000人、仮設住宅の募集要件見直し
市内の避難所は5つの区で合わせて21ヵ所に集約されました。避難者数は2.000人。このうち、青葉区、太白区、泉区の約150人は「山津波」被災者です。
市内の仮設住宅は既に新規プレハブ住宅、公務員住宅、民間社宅等を含め3.000戸を目標にし、既に約2.000戸を用意して入居募集に入っていますが入居が進んでいません。
幼い心に震災の影、震災孤児・震災ストレス
震災孤児(高校生まで)については既報でも触れましたが、被災地3県で130人余、うち宮城県だけで57人と言われていますが、まだ実態は不明です。
ボランティアで避難所に行った娘たちの話では、地震や津波のショック、生活環境の変化などから、ストレス反応を示す子供も少なくないそうです。
避難所生活が長くなり、避難所のエコノミー症候群も問題になっており、専門家による検査が始まっています。
離職者が急増
宮城県内で震災後3万7.000人が離職票や休業票の交付を受け、失業手当を受ける手続きを始めていると、宮城労働局が発表しました。 |
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大津波がもたらした沿岸部の甚大な被害と悲惨な状況が繰り返し報道される中、警戒心の薄い山間部へも津波襲来があったことや、津波に備える先人の警鐘や知恵が紹介されるようになりました。
一昨日、津波で亡くなった知人に花を手向けるため岩手県大槌町に行ってきました。
“津波は海から来る”という先入観が吹っ飛ぶ川への大逆流
津波が仙台平野を横切る名取川の河口から約6q上流の広瀬川まで逆流し、太白区でも川沿いの土手などに浸水したことは第4報でお知らせしました。
岩手県を源流とする北上川でも石巻の河口から49qの地点まで遡っていたことが水位計の分析で判明したそうです。
今回の震災による大津波は、海が見えない場所にある山あいの集落ものみ込み多くの犠牲者を出しました。
先人の警鐘が地区を救う
「明治三陸大津波」で壊滅し、当時の村長の指示で海抜20〜30m前後の高台に集団移転した大船渡市の本吉湾地区の中心となる集落(約100世帯)は、戦後に低地に建てた民宿2軒などが流され海辺で作業していた男性1人が行方不明となりましたが、津波は集落に達せず、犠牲者も皆無であったそうです。
かつて、宮古市重茂の姉吉漁港の坂道を1qほど上った海抜約60mの高台にある石碑を見たことがあります。
「此処より下に家を建てるな/ 明治と昭和津波も此処まで来て部落は全滅/ 生存者僅かに3人と4人のみ/ 幾歳経るとも用心あれ」。このような趣旨の「大津浪記念碑」です。
東北大学の東北アジア研究センターの平川教授グループが、国土地理院が分析した津波浸水状況図を宮城県南の旧街道や宿場町の地図と照合しました。
なお、このグループの調査成果を受け、福島県在住の郷土史家が福島県内津波浸水域と浜街道(現在の国道6号)のルートを比較したところ、宮城県南沿岸部と同様に、相馬市などで津波が国道6号で止まっていたことが判明したとの報道がありました。
東北新幹線の早期地震検知システムが機能
大地震は、東北新幹線を直撃しました。電化柱の損傷や架線切断など、4月7日深夜の余震と合わせて1.750ヵ所、被害は最大震度を記録した宮城県南に多く見られたそうです。
また、地震発生当時、東北新幹線は27本の列車が乗客を乗せて走っていましたが、いずれも脱線せずに停止しました。
JR各社は、気象庁のシステムと連動させたうえで、さらに独自の地震計を設置してカバーしています。
大地震でJR仙台駅の新幹線ホームも300mにわたって張られていた天井板が剥がれ、落下しました。余震による危険性に配慮し残りの部分も含めてすべて撤去し、新幹線の再開に合わせ天井の配線などはむき出しの応急復旧を果たしました(新聞写真添付)が、仙台駅構内は依然として、復旧工事に伴う立ち入り禁止区域が残り、外壁の安全確認のため、駅舎を覆うシートも5月中は現状を維持する方針です。 まだ減速運転の臨時ダイヤが続いており(通常に比べ仙台〜東京間で30分以上)、完全復旧までにはいま暫くかかりそうです。
県民の今の大きな関心事(心配事)は、@、30年以内の発生確率が99%と想定されてきたマグニチュード7.5級の「宮城県沖地震」がこれで終わったのか、或いは今次大地震とは別に起きるのか、
広い震源域を持つこの大地震によって、宮城県沖のプレート境界で、およそ37.1年間隔で発生してきた「宮城県沖地震」の断層がともに滑って破壊されてしまったのではないか、とも言われていますが、地震学者の確かな見解は聞こえてきません。
最大余震についても専門家は警戒が必要と言いますが、過去に起きた大地震のように、1〜2年後に本震から1少ないマグニチュード8程度の最大余震が果して本当に起きるのか、起きるとすればいつ頃なのか、当然ながら誰も答えを出してはくれません。
結局は、起きないことを念じながら、今回の大震災の経験を教訓に、心の準備を含めハード、ソフト面の出来るだけの準備をしておくことに尽きそうです。
この第7報で一区切りつけます。震災発生以来いろいろとご支援とお励ましをいただき、また、近況報告にお目通しをいただき感謝申し上げます。 5月11日 渡辺 陽一 |
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