東北地方大震災の近況報告(第6報)4月21日付 |
〜復旧から復興への多難な道のり〜
|
大震災発生から早や42日が経過しました。
仙台は桜が見ごろを迎え、傷ついた心を癒すため津波被災者を招いた花見も開かれていますが、提灯や幟、照明はなしです。 地震・津波・原発の3点セットの影響があまりにも大きく、「東日本大震災」と名付けたのは間違いで、「地震大津波大災害」、もっと言えば「東日本地震大津波福島原発大災害」が後世に伝える正確な呼び名ではないかと語る人がいます。私もその思いです。
仙台市周辺では、ライフラインがほぼ復旧し、交通インフラの再開スケジュールの見込みが概ね立ち、企業や被災地住民の一部にも復旧から復興に向けた歩みが見られるようになりました。 しかし、全般的には、阪神・淡路大震災の時と比べその足取りは遅々として進まないといった印象があり、16年前の大震災を体験し、その復旧・復興に関わった方からも意見・質問が寄せられています。この1ヵ月余りは、人的救助から行方不明者捜索、燃料不足の中での応急物資輸送、避難者の生活支援など、復興を考える前に行うことが多すぎ、関係者にとっては、あっという間に時が経過したというのが正直なところではないかと思います。
復旧・復興へスピードが上がらない要因は、2つの「大震災」の違いにあると考えます。 私は阪神・淡路大震災1ヵ月半後に現場を訪れましたが、今回は、これまで私が見聞きしてきたことを踏まえ両大震災の違いについても触れてみます。福島原発問題は論外です。
先ずは仙台市を中心にしたライフライン等の復旧状況から。
(ライフラインと交通インフラ等の復旧状況)
・仙台市ガス局は震災37日目に当る先週末(16日)、津波で大きな被害を受けた市東部沿岸地区など復旧作業が困難な地域や、市内で30ヵ所以上とされる地盤崩壊で宅地建物の損傷程度が激しく、ガス供給の上で安全が確保できない区域を除き、都市ガスの復旧作業を完了しました。 31万戸へのガス供給再開に向け全国51のガス事業者から駆けつけた「復旧隊」は、ピーク時3.700人に上り(他に市ガス局職員500人)、当初の計画に比べて約2週間早まりました。
・東北新幹線は、7日の大余震の影響で特に福島〜盛岡間でさらに被害が拡大しましたが、
福島〜仙台間は27日としていた予定を前倒しして25日に再開するとの発表があり、これで東京〜仙台間が結ばれる見通しになりました。30日頃には東京〜青森間の全線が開通する見通しで、大型連休期間中に東北の大動脈が復活する予定です。 ・JR在来線は、仙台駅を中心にした通勤網から徐々に再開路線を延ばし、23日には仙山線が全線再開しますが、沿岸部路線・仙石線の東塩釜〜石巻間の完全復旧は相当先になりそうです。大津波にのまれた県北部沿岸部の気仙沼線など7路線は、駅舎の流失、線路寸断、鉄橋の崩落に加えて、トンネル内にがれき類や漁船などが入り込むなど甚大な被害を受けています。JR東日本では復旧作業は街づくりと一体で進める考えを表明、安全確保上、駅や線路を現在地から移す可能性も示唆していますが、復旧時期については全く見通しが立たないそうです。南三陸町などの住民は「陸の孤島」化に危機感を募らせています。
・仙台空港アクセス線は、空港利用者のみならず、地域住民の足を担っているため、懸命の復旧工事が進められており、7月末を目処に名取〜美田園間の運行、空港の全面再開が見込まれる今秋までに全線復旧を期しています。
・仙台地下鉄は当初計画を1ヵ月前倒しした今月29日全面運転再開に向けて懸命の復旧工事が進められています。工事中の東西線は大きな被害は免れ、2015年度開業に影響はないと言われていますが、請負業者が各地の震災復旧工事に従事しており工事は中断しています。市長は各地の復旧状況を勘案しながら工事再開を決める方針を表明していますが、開業時期に影響が出てくることも考えられます。
・仙台市内のバス運行は、未だ道路不通による迂回運転、津波被災地の交通遮断等が続いていますが、今週初めより概ね土日ダイヤから平日ダイヤに戻りました。津波被災地についても、20日から市による被災車両の一次撤去が始まりましたので、徐々に営業路線を延ばしてきています。
・仙台空港は6m近い大津波に襲われ早期復旧は難しいと思われていましたが、4台の発電機と仮設カウンター・トイレを設置して、13日から日中だけの暫定運用で羽田、伊丹間の臨時便運航が始まりました。国交省が全国からポンプ車を集めて震災から2日後に冠水した滑走路の排水作業に着手、25mプール約1万2.000杯分の排水を24時間体制で行ったそうです。その後米軍が中心になり、滑走路のがれき、散乱していた被災車両を撤去して順次全長3.000mの滑走路を確保、この日を迎えたとのことですが、あの凄まじい被害状況を目の当たりにしていた地元では、「まさにミラクル」と言われています。ただし、1階部分が水没した旅客ターミナルの被害は深刻で、電気や通信、上下水道など重要設備は使い物にならなくなっています。全面復活は早くても今秋となる見込みです。 なお、大津波に数機の軽飛行機とタラップ車がのみ込まれましたが、エア・ドー小林副社長の話では、エア・ドーが地震発生16分前に、他社便も直近で6分前に仙台空港を離陸しており駐機中の旅客機はなく、旅客機・搭乗客に被害はなかったとのことです。
・東北最大の港湾である仙台港は、津波で港湾施設の一部が損傷、約500個のコンテナが海底に沈むなどコンテナとがれきが海上や埠頭に押し流される被害を受けました。国交省と海上保安庁が航路をふさいでいた障害物の一部撤去を進め、7日初めて自動車運搬船が入港、16日にはコンテナやがれきが残る中野埠頭から震災前に製造された完成車を積み出すなど民間の輸送が再開しました。物流の活性化に向けて明るいニュースであり、経済活動の回復、活発化に期待がもたれています。
県は、コンテナ定期航路の再開は応急復旧作業のうえ6月に再開させたい意向ですが、港湾機能全般の本格的な復旧工事完了は2013年後半を目指しているとのことです。 塩釜、石巻両港も一部で航路と水深を確保して一般船舶の入港が可能になりました。
・宮城県営工業用水道は、震災後さらに7日の余震で湾曲した七北田川水管橋の復旧工事を急いできましたが、今日(21日)中には県内契約企業73社すべてに送水できる体制が整い、全面復旧となりそうです。
・津波被災から免れた仙台市内内陸部とその周辺は、震災から3週間ほど、工場や店舗の被災、物流網の寸断、東北各地の燃料供給の要であった仙台港の製油所被災(元東北石油)などで深刻な物不足、燃油不足に見舞われましたが、東北本線JR貨物の上野〜仙台間暫定営業再開によって、それまでの日本海側迂回鉄路と一部トラック積み替え輸送から少しずつ元の形に戻り、加えて、塩釜港物流埠頭の一部供用再開も相まって、その状況は大きく改善されました。店舗は未だ品揃えは不十分ですが、津波被災地と損傷の激しい市内SCと国道筋の家電・家具店等を除くと大方営業を再開し、コンビニもおよそ9割が営業を再開したようです。
(今次大震災と阪神・淡路大震災はどこが違うのか)
宮城県が明日22日付で「震災復興本部」を立ち上げると同時に、復興計画策定のため発足させる「県震災復興会議」の構成委員を固め、5月2日に初会合が開かれることになりました。一方、震災1ヵ月を機に知事が県の復興基本方針素案を公表し、復旧・復興への思いを伝え始めていますが、昨日現在未だ宮城県の行方不明者は総数7.884人に上り、この行方不明者の捜索が続いているほか、大量に発生したがれきや被災車両が復旧活動や経済活動の障害になっており、前に向かってのスピードがなかなか上がらない状況にあります。
「水産業や食品加工業、農業等を営む地域≠中心に、広域にわたる大津波を伴う想定外の規模の大地震」
これが都市部を中心に家屋の倒壊、火災被害の多かった阪神・淡路大震災との大きな違いであり、復旧・復興のスピードを遅くし、道のりを難しくしている大きな要因ではないでしょうか。
@、想定を超える地震規模と広域な被災地
今回のマグニチュード9.0の最大級の地震の規模は、阪神・淡路大震災の約1.450倍、震源断層は長さ500`m、幅200`mに達するとされ、広範囲に被害地が拡大しています。
大津波により東京山手線内の9倍以上の広い地域が浸水し、浸水を免れた仙台市域内陸部全域も、建物や道路の崩壊・損傷、全てのライフラインの停止(長くて16日間の断水、37日間の都市ガスストップ)に止まらず、関東圏域におよぶ広い地域の被害の影響によって交通網や物流網が寸断されるなど、およそ3週間にわたり市民生活に大変大きな混乱をもたらしました。
岩手、宮城、福島の3県で、自治体が定めた100カ所以上の指定避難所や地区防災センターが津波に襲われ、流失や浸水の被害に遭い、人的被害も大きかったそうです。また、わが家のすぐ側の200人以上が避難した小学校体育館もそうでしたが、暖房がなく、炊き出しも震災翌朝にはなくなり周辺住民が持ち寄るなど、避難所となる学校施設の備蓄不足が大きく批判されています。これなどは、まさしくこれまでの経験では計れない想定外の出来事であった証左であると思います。
A、驚異の大津波の脅威
一昨日警察庁が震災による犠牲者約14.000人のうち、92%の死因が津波による水死であることを明らかにしました。犠牲者6.434人のうち、家屋倒壊88%、火災10%とされた阪神・淡路大震災とは大きな違いです。重傷者・負傷者全体でみても、家屋倒壊の下敷きになった犠牲者が多かった阪神・淡路大震災が54.000人に対して、今回は5.000人弱と死者・行方不明者数(20日現在27.700人余)に比べて少なく、津波に巻き込まれる人的被害の深刻さを浮き彫りにしています。また、この津波の想像を絶する威力が行方不明者の捜索、安否確認を難しくしている所以でもあります。
B、主な被災地の「なりわい」は水産業、農業中心
大規模津波の被災地には、高齢世帯が多く、厳しい地方財政下にある規模の小さな自治体が多く含まれ、中には、避難に際して若い世代の助けを借りることが出来ない限界集落もあります。水産業や農業などを「なりわい」としている地域が大半で、多くがいわゆる自営業です。働く場所を一瞬になくしただけでなく、類焼による火災などと異なり何も持ち出す余裕がないままに集落ごと住まいを流され、多くの担い手が犠牲になりました。大阪等への通勤族が多く住む阪神・淡路とはここも違います。
C、仮設住宅用地確保難、津波被災地での原形復興は不可能
東北3県では未だ13万人余りが避難生活を送っています。仮設住宅の建設は、2ヵ月半で3万戸を建てた阪神・淡路大震災の時と比べてペースが遅く、8月末を目標とする7万戸の建設が危ぶまれています。沿岸部では、安全確保の観点から、がれきを片付けた跡地に建設することもできず、用地の確保と建設資材の調達難が足かせになっています。 宮城県知事は、県内の仮設住宅(3万戸・うち仙台市3千戸)を津波被害にあった場所には建設させない方針を表明していましたが、高台に用地確保が難しい沿岸自治体から再考を求める意見が出ており、高台への避難が容易な場所に限って例外を認めるとの方針変更を余儀なくされました。いったん仮設建設地に予定しながら相次ぐ余震で敷地に地割れが発生し、建設を中止し選定し直す市町もあり、特に沿岸部での建設地の調整が簡単ではないようです。また、沿岸部では、地盤沈下のため満潮時に住宅地や国道の浸水・冠水被害が多発しており、将来の街づくりを考えるに当っても津波被害に遭った場所での原形復興はほぼ不可能であり、ゼロからのスタートにならざるを得ません。
D、家屋倒壊、火災とは異なる難しさを伴うがれきの撤去
大量に発生したがれきの撤去や被災車両の一時撤去作業が本格化しています。家屋の倒壊や火災と異なり、多くの家屋が津波で流され、一部痕跡が残っていたとしても場所が大きく移動しているうえ、被災車両が重機の行く手を塞いでいます。家族が残され、家が特定でき、撤去するかどうか意思表示の出来る人の建物・がれきはともかくとして、そうでない場合は行方不明者や家屋所有者の手がかりになる位牌、アルバムなどを求めながら、重機が薄皮をはがすように時間をかけて作業を進めています。
津波被害の多い沿岸部の自治体では、がれきの仮置き場の確保と安全対策に苦慮しています。広い用地があるのは海近くで、余震の津波による二次災害や海洋汚染を危ぶむ声が漁師たちから上がっており、近隣に協力を求める自治体も出ています。
被災車両の撤去、一次仮置き移設等も泥水を含み通常の1.5倍の重さがある車両を、がれきで足元が悪いうえ浸水で軟弱な地盤に重機を持ちこみながらの作業であり、苦労しているようです。
E、海も被災地
大規模津波は、陸地だけでなく海への影響が出ています。漁港では、小型漁船や魚市場、水産加工場、養殖いかだなどの水産業者の経営資源とともに多くの家屋、車両が海底に沈んでおり、この海に流失したがれきがこれからの業の再生を阻みかねません。また、燃油等が大量に流出し、水質汚濁も深刻です。工業港も岸壁等港湾施設の崩壊、崩落に止まらず、漁港同様がれきと被災車両の山が港湾内に沈み航路と水深確保に大きな障害となっています。一部は供用再開にこぎ着けていますが、この撤去にも時間を要しそうです。
F、電力供給能力に対する不安
阪神・淡路大震災では、兵庫県の神戸市、芦屋市、西宮市などを中止にビルや家屋が大量に倒壊するなど甚大な被害を受け、今回の仙台同様、電気や都市ガスのライフライン復旧には時間を要しました。しかし、関西電力の発電設備の被害は小さく、ライフライン復旧後の電力供給能力そのものには大きな不安がありませんでした。
一方、今回は東京電力の福島原発問題を別にしても、東北電力の太平洋沿岸部発電所が停止しており、今は特に問題は起きていませんが、今後の復興に伴う電力需要の増加や夏場の冷房需要期に向かって、東北の経済活動や市民生活に大きな影響を与えかねません。
G、地場企業を中心に内定取り消しの動き拡大
阪神・淡路大震災の際は、就職内定取り消しが大学・高校合わせて512人あったと伝えられています。宮城県教育委員会が19日、3月末現在、津波被害が甚大な県沿岸部の高校を中心に県内29校100人強が内定取り消し、549人が採用延期・自宅待機であることを公表しました。採用延期や自宅待機が長期化し内定取り消しということも考えられ、甚大な震災被害を受けた3県トータルでは阪神・淡路大震災時と一桁違うことになるかもしれないと予想する向きもあります。
H、内陸部の建物損壊、届かぬSOS
震災6週間を経ても仙台市に、沿岸部の津波被災地の人的救助、不明者捜索に追われて行政の支援から取り残されている地域や人たちがいます。7日深夜の余震も加わり、地区内住宅の約4割が甚大な被害を受け、損壊した建物や車内で寝泊りしている人もいる「ブルーシート・タウン」と言われる仙台市宮城野区岩切地区などです。市の実態把握が沿岸部に手を取られ内陸部まで手が回らない、これも大津波の脅威にさらされた今回の大震災の特異な点かもしれません。
(企業活動を中心にした復興の動き)
津波被害を免れた内陸部工場の震災復旧が進み、物流網の回復とともに生産再開のニュースが飛び込んでくるようになりました。 しかし、沿岸部の津波被害に遭い海水を被った工場の設備復旧には時間を要しています。また、沿岸部で壊滅的な打撃を受けた食料基地東北の1次産業や中小・零細企業の多くは、未だ生活再建の見通しが立っていませんが、報道をみていますと、少しずつ元の生活を取り戻そうとの動きがみられるようです。
・東北の自動車関連工場は、トヨタ自動車が18日に、この1月操業を始めた宮城県大衡村のセントラル自動車など国内完成車工場の生産を全面再開しました。これにより、グループ各社部品工場に続き復旧工事を急いできた地元中堅部品メーカーでも生産の動きが出始めています。日産自動車いわき工場も18日から高級車用エンジンの生産を再開、震災で打撃を受けた東北の自動車産業の回復に向けた動きが鮮明になってきました。しかし、各社とも、生産量は震災前の半分程度とみられ、本格的な回復までには時間がかかりそうです。
・宮城県内主要立地企業では、パナソニック(名取市)、旭化成(石巻市)、リコー(柴田町、登米市)、日本製紙(岩沼市)、仙台コカ・コーラボトリング(仙台市)などが部分操業を再開し、県内各地の製造現場で生産を再開する動きが加速しています。
一方、製造設備が津波に見舞われたキリンビール(仙台市)は9月再開を目標にし、日本製紙(石巻市)やJX日鉱日石(仙台市)などは再開見通しが立っていません。 宮城県大和町で建設を進めている半導体製造装置大手の東京エレクトロンは、建屋などの内装資材が焼失し、当初4月末に予定していた新工場の稼働時期を半年程度遅らせることになりました。
・被災した県内地場中堅企業は、地酒蔵元(一ノ蔵、日高見など)、水産加工(阿部蒲、鐘崎など)など、ライフラインの復旧に伴い、設備損傷が少ない内陸部を中心に一部再開の動きが出てきました。 しかし、宮城県の気仙沼市や石巻市では水産加工業者など9割の事業所が壊滅的な被害を受けており、一部設備が残っている水産加工業大手阿部長商店(気仙沼市)、蒲鉾の白謙(石巻市)、高政(女川町)などは一部生産再開の目処がた立ったそうですが、大半は津波で事業所ごと流さており、その多くは復旧見込みが立っていないのが実情です。
・ヤマニシ(旧山西造船鉄工所、1万トン及の貨物船、フェリー客船建造を得意とする)は、石巻市北上川河口で建造中の3隻の船と事業所・設備すべてを流され、従業員にも犠牲者が出ましたが、当社の再建を手助けしている旧知の元役員に聞いてみたところ、「津波で流された事業所現場のがれきの山には、被災車両や造船所に関わりのないがれきがたくさん流れ込んでおり、焼失跡地の後片付けよりも数倍手がかかる。設備の全壊も打撃だが、90年間積み上げてきた設計図面をはじめ技術集積のソフトが海に流されたのが痛い。これが津波ではなく地震による火災であったなら一部は取り出すことが出来ただろう。」と語っていました。この造船所は、会社更生法で再建した過去を持ち、下請けを含め400人足らずの中小造船所ですが、4月1日に予て採用内定していた数名の新卒者の入社式を行い、取引船会社の支援を受けながら再起のスタートを切りました。
地方の1社1工場(1事業所)の中堅・中小企業でソフトのバックアップ体制をとっている 所はまずありません。取引先名簿や帳簿を失い再建の足がかりが得られなくて困っている地場企業の報道がありました。立ち上げを遅くしている要因の一つであると思います。
・宮城県内の観光地や温泉地は、震災と原発風評被害の影響で苦境に立たされています。沿岸部に立地する観光施設の復旧見通しは立っていませんが、湾内260余島が津波の勢いを削ぎ、奇跡的に津波被害を最小限に抑えることができた松島の一部旅館、秋保、作並、鳴子温泉などは、応急復旧工事を済ませています。しかし、多くの宿泊予約がキャンセルされ、雇用維持困難で一部解雇も出ているようです。津波被災地からの2次避難受け入れへの協力や、復旧・復興に携わる企業・団体関係者の宿泊で耐えている旅館もありますが、東北新幹線が回復するゴールデンウイークが近づいても、先が見えない状態が続いています。
これまで子供や孫娘達に、この世で怖いものの順番は、「地震、雷、火事、親父」であると言い聞かせてきました。今や親父の威厳や権威は地に落ちて3番目と4番目に大きな段差があり過ぎ、あまりピンとこなかったようですが、今回の大震災で「地震」が最も怖いものであることだけは納得してくれたようです。
4月21日
渡辺 陽一
ウェブサイト 「“3・11” 市民が撮った震災記録」で、宮城県民から募った、大震災での市民生活を伝える写真を公表しています。
“3・11”
市民が撮った震災記録をクリックしてご覧ください。 |