東北地方大震災の近況報告(第2報) |
津波の被災地に比べれば天国ですが、あまり報道されていませんが海岸線を離れた仙台市内も未だ混乱の極みです。近況報告です。
震災から17日が経過しました。交通網や電気、水道、通信などライフラインの復旧は徐々に進んでいますが、津波の被災地が広範囲で死者・行方不明者数を含め被害の全貌が未だ把握出来ていません。私の周りでも知人や孫娘の友人・家族たちの訃報が続いています。
また、生活再建の見通しが立たない人が多い現状です。 皆様にご支援、お励ましをいただきながら7人家族お陰さまで何とか元気にやっています。 わが家は仙台市内中心部から南西3,5qの高台に位置しますが、市郊外を迂回する道路を除き市内に出る3本の市道のうち2本が温泉旅館の倒壊、青葉城跡石垣の崩落で不通が続いています。屋根瓦の損傷があちこちに見られますが雨漏りを防ぐビニールシートを覆うのがやっとで、木造家屋内のミキサーでかき回されたような足の踏み場もない状態は殆どが未だ手づかずのようです。 そのような中で昨日(26日)夜にようやく待望の水道が復旧しました。未だ濁り水ですが、2週間以上におよんだ水運びの重労働からやっと解放されました。町内会の防災委員を務めており、隣近所の食事確保と合わせ、独居老人や身体が不自由で給水現場に行けない方々の水運びを水道がいち早く復旧した知り合いを頼って皆で協力し合い(私は後輩であった亡き増田君宅とあおぞら銀行支店にお世話になりました)、幸い身体の不調を訴える方もなくこの日を迎えました。わが家の飲み水はペットボトルの買い置きと8日目以降は各地からの宅配(営業所受け取り)で何とか賄えましたが、問題はトイレ等の日常雑用水の確保です。震災1週間後に2日ほど降雪があり家族総出で雪を集め風呂桶に運び込み凌いだこともありましたが、家庭のウオーシュレットトイレのタンクには2リットルペットボトル6本の水が入ります(節水型は半分らしいですが)。水の大事さ、有難さを改めて感じた次第で、「湯水のように使う」の形容はもう止めにしてほしいものです。
各地から当初はレターパックで小さな物を、宅配再開後は段ボールで、生理用品、濡れ紙タオルと濡れお尻拭き、それに、小型のポリタンク、蓋付きバケツなどを大量に送ってもらいましたが、これらは断水の中で特に皆に重宝されました。レターパックはギリギリに詰めても大目にみてくれ1sの米が入ります。 都市ガスは仙台新港のLNG受け入れ・気化施設等のガス製造設備が大きく損傷しましたが、幸い新潟〜仙台間のパイプラインの傷みが少なく、日本海エル・エヌ・ジーからの送ガスに付臭して一部地域で供給を再開しました。1ヶ月半で全面再開にこぎつけそうです。
三越や仙台の老舗デパート藤崎は数日前より地下1階の食品売り場のみ営業を再開しました。ショッピングセンターやコンビニも一部開店していますが、品不足は相変わらずで順番が来ても数量制限が続いています。震災後1週間のような数時間の大行列はなくなりましたが(皆疲れて列べないのです)、未だに目薬を買うにも1時間、今日は5日前に賞味期限が切れた牛乳を母に飲ませ続けるのもどうかと思い孫娘にダイエーへ行かせましたが、1時間30分列んで品切れでから振りに終わりました。火が使えないため、食パン、玉子、牛乳、納豆が入手困難のようです。 20日以降は寒いのと体力消耗を考え、夕方30分ほど歩いてみて閉店前の店を見つけ残り物を買うことに徹しています。数日前はほうれん草が残っておりシメシメと買ってきましたが、帰ってからよく見ましたら出荷停止前の仕入れとはいえ茨木県産。年寄りは仮に半減期の長い放射性物質に汚染されていたとしても半減期間内にこの世を去りますので問題ないと割り切って食しましたが、孫娘たちは拒否でした。 ガソリンをはじめとする燃油は高速道の全面開通や一部港の供用再開で需給バランスが落ち着き始めてきているとの報道もありますが、実態は全く異なります。被災地の重機燃料や警察、消防、電力、ガスなどの緊急車両、救援物資輸送、介護福祉関連が優先で、しかも、スタンドが損傷し機能しない店が多いうえ、ローリー・運転手不足(ともに被災が多い)、関東方面からの助っ人運転手は地理不案内などが重なり、何時入荷するか分からないスタンドに大行列。緊急車両が給油に入るたびに長時間給油待ちの客と店間でトラブルが発生、危険なため車列の整理をアルバイトから店の責任者に限定しているとのこと。街中でも駐車違反の取り締まりがないため在庫切れで給油できない車はそのまま放置し、翌朝またチャレンジするといった凄い状況です。上手くゲット出来てもハイオク3千円、レギュラー2千円までです。震災直後は山形まで給油に行く者が大勢いましたが、県境近くの東根市や天童市は20リットル制限が始まっており燃費の悪い車はプラスマイナスゼロにもならなかったという笑えない話があります。行列に入る時間のない私は幸い新潟の方のご厚意で仙台まで特殊容器で運んでもらい、周りの方の給水や母の通院に充てさせてもらうことが出来ました。
また、普段めったに車を運転しない方から満タンの車のガソリンを抜いて使うよう言われ試みてもみましたが、今の車はガソリン収納タンクが小腸のような構造になっており上手くいきませんでした。 地震の時に街中の立駐に入れていた車は停電と車が傾いて電気が回復しても暫く出せず、これに懲りて余震が続く中で車道はもとより歩道にも乗り入れて駐車しており、ガソリン不足で車が少ないとはいえ、何でもありの状態です。
学校は復旧工事を要する所も多く、地域によって異なりますが、小・中・高は4月中〜下旬の新年度授業開始、大学も新入生は5月上旬初登校が多いようです。
1日に10数回震度3〜5の余震があります。孫たちは揺れで正確に震度を当て、TVのテロップで確認しています。この程度では2段ベッドから起きてくることもありません。 この震災を機に孫娘たちが、人への思いやり、お互いの助け合い、節電節水などに目覚めたことだけは確かです。大学進学が決まった一番上の孫は初登校まで震災ボランティアを考えているようです。 私は水替わりで差し入れのあったビールを飲んでいますが、酒の肴が少ないうえ慣れない力仕事と買い出しで3`スリムになりました。唯一の地震効果です。
津波の被災地には困っているお気の毒な方がたくさんいます。どうぞご支援をくださいますよう私からもお願い申し上げます。
3月27日(日) 渡辺 陽一
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