東北地方大震災の近況報告(第1報)

お見舞いを頂戴し誠にありがとうございます。ご心配をおかけしましたが、お陰さまで93歳の母をはじめ同居する4世代家族皆が無事でおります。ご安心ください。

地震発生当時は外出しようと玄関先におりました。扉を半開きで押さえ仁王立ちになって耐えましたが、この世の終わりかと思うぐらいのもの凄い横揺れと同時に、電線・電話線・CATVケーブルのうなりと周りの家のきしむ音がさらに恐怖感をあおり、何とも長い長い3分間でした。

30年内に宮城沖地震が99%の確率で起きると言われて以来それなりに防災対策をしてきたつもりですが、いざ現実になりますと心の準備を含めいろいろな面で全く準備不足であったことを痛感しています。

幸いわが家は地盤が強固なうえ築14年の鉄骨作りであったため、冷蔵庫など家具の一部の移動、書庫の書籍の飛出し、食器棚内の食器の一部破損、クローゼット内の棚落下程度で済み、家具が倒れることはありませんでした。しかし、周りの古い作りの家はブロック塀の崩壊、モルタル外壁の落下、家中はミキサーでかき回されたといった表現をされた方がおりますが、足の踏み場もない状態のようです。

電力、ガス、水道が止まりました。電力は街中心街に続き先ほどいち早く復旧しましたが、水道は我々の所はもう少し時間がかかりそうです。ガスは早くて1ヶ月、ガス製造設備も破損していますので場合によっては3ヶ月とも言われています。阪神・淡路大震災を教訓に備えの一つとして、ガスを止め、冷暖房エアコン系統を電力と灯油に分け、調理は電力に、風呂・給湯は灯油に、リスク分散を図っていましたので、水道が復旧すれば早く普段の生活に戻れそうです。

乾電池、貯水、備蓄用パンに加え、停電でも使える電池点火石油ストーブや簡易ガスコンロは用意していましたが、電気がないとネットワークを使ったデジタル方式の電話(わが家はKDDIADSL ONE)は殆ど機能しません。携帯電話もバッテリー切れで2日目夕方には通信手段を失い、これは誤算でした。皮肉なことに母の古いアナログ電話が大活躍(公衆電話もアナログでかけやすく大行列)でした。

何人かの知り合いの安否確認のため翌日信号停止の街中を走りましたが、改めて電力等のインフラの重要なことを知らされたところです。

一般に地震の際、3日間凌げれば救援物資も届き、コンビニやショッピングセンターも復旧するのでどうにかなると言われていますが、今回のような広範囲におよぶ想定外の地震になりますと自衛隊なども深刻な被災地対応で手一杯であり給水活動もまどろっこしく、ショッピングセンター等も開店不能なぐらい破損がひどく買い物はできません。市内のダイエーが今日一部開店したそうですが3qの行列だそうです。一人当たりの商品購入個数を限定していますが、午後には乾電池、水、カップラーメン類、保存食、ガスボンベ、給水ポリタンクなどは品切れとのこと。ガソリンスタンドも少なく大行列です。

今回の経験は、次回に備えるための大いなる勉強にはなりましたが、それにしてもこれが最後であって欲しいものです。

震度35程度の余震が1時間1度程度の頻度で続いています。孫娘たちもこの程度では机の下へもぐれと言っても平気な顔をしています。慣れとは怖いものです。

宮城県内だけで犠牲者は万単位と知事が表明しました。被害の全貌が分かっていません。

いろいろとご支援いただければと存じます。

電力が復旧しパソコン使用可能となりましたので、取り急ぎお見舞いの御礼と近況報告をさせていただきます。これからもよろしくお願いいたします。

           314日  午後3時45分   渡辺 陽一

 
地震トップページへ戻る