◆特別寄稿◆震災レポートNo.14(2015/8/15) 〜 進展の一方 復興の地域・個人差が大きく 前に進めない被災者も 〜 渡 辺 陽 一 政府が定めた2015年度末を期限とする「集中復興期間」が間もなく残り半年を切ろうとしている。宮城県内の被災地では、遅れていた名取市閖上が昨年秋、浸水地での現地再建を基本とした土地区画整理事業に着手し、ほぼすべての地域で復興の槌音が響くようになった。トップランナーとなった岩沼市玉浦西地区の集団移転をはじめ工事が進んでいる所では新しい住宅が姿を現し、転居してきた被災者の生活が始まった。ようやく希望の光が見えてきた思いがするが、それは全体の一部でしかない。まだまだ多くの人々が仮設住宅などで不自由な暮らしを余儀なくされている。 この1年を振り返ってみると、思い描いたスピード感とはほど遠い歩みながらも復興が確かな前進を見せる一方で、復興の地域差や個人差が大きくなった感がする。「住まい」と「働く場」を取り戻せない被災者の我慢も限界にきている。春以降行われている地方選で、本年度末に市の震災復興計画が終了する仙台市議候補者は「ポスト復興」のまちづくりを訴えていたが、復興を実感できない沿岸自治体ではなお「復興の方向」を争点にしている。温度差がある証左である。 県などの公表データと定期的に行っている定点観測地での聴き取りにもとづき、宮城県内の復旧・復興の進捗状況(6月末)を概観するとともに、現状における課題などを挙げてみたい。 ■仮設暮らしは半減に 高齢・独居化進む 被災者の約半数の人(57.6千人、25.5千世帯)は4年5ヶ月経った今も不自由な仮設住まいを強いられているほか、県外避難者も7.1千人いる。 阪神・淡路大震災時には現地再建で住宅整備が比較的早く進み、震災発生丸4年後で仮設入居率は13.5%、5年でほぼ全世帯が仮設を脱した。“土地被災”の様相を呈した今次震災では、移転予定地の造成工事や新たな宅地を求めて行われる公的住宅の整備に時間を要して計画通り進まない。県は仮設住宅の入居期間について自治体が一律1年延長する現行制度に加え、入居6年目からは自治体が世帯ごとに判断する「特定延長」を導入する方針を打ち出した。住宅整備の計画はあるが工事の遅れなどで入居期限の5年以内に仮設を出られない世帯、移転予定地の造成工事が完了していない世帯などに限り、入居期間を1年延長するというものである。 これに対して、住宅の再建方針が決まらない被災者や高齢世帯、独居高齢世帯を中心に不満を訴える声が上がっている。仮住まいの55%はプレハブ住宅(残りは民間の賃貸住宅を活用)であるが、65歳以上の高齢者が占める割合は44%(県の平均24.8%)に上り、また、独居高齢世帯も26%に達し、経済的問題に加え、転居先での人間関係やコミュニティーに懸念を抱く被災者が多い。集団移転や災害公営住宅での再出発を期す被災者がいる半面、仮設住宅からの退去が困難な世帯も確実に増えているのが現実である。長期化に伴う居住環境の改善とともに、自立への支援強化がより求められているところである。 ■ピーク迎える住まい整備完了まで早くて後3年余 【防災集団移転促進事業(宅地造成)】 ・195地区(A)/うち住宅等建築可能となった地区109(B)
仙台市(A)14/(B)14、石巻市(A)56/(B)25、気仙沼市(A)51/(B)20、南三陸町(A)26/(B)20、女川町(A)22/(B)7、東松島市(A)7/(B)6、岩沼市(A)2/(B)2、亘理町(A)5/(B)5、山元町(A)3/(B)2
【土地区画整理事業(復興まちづくり、住まいの現地再建)】 ・34地区(A)/うち完成0(B)
仙台市(A)1/(B)0、石巻市(A)14/(B)0
【上記2事業用地での住宅計画】 ・10,466戸/うち完成(4月末現在)2,351戸 【災害公営住宅計画】 ・242地区15,914戸(A)/うち完成6,309戸(B) 仙台市(A)3,179/(B)2,476、石巻市(A)4,500/(B)1,116、気仙沼市(A)2,139/(B)185、南三陸町(A)738/(B)104、女川町(A)860/(B)230、東松島市(A)1,010/(B)412、岩沼市(A)210/(B)210、亘理町(A)477/(B)477、山元町(A)484/(B)353
高台や内陸部での防災集団移転促進事業による宅地造成は、一部完成の地区を含め半数以上の計画地区で住まいなどの建築が可能となったが、住宅を建て終えたのは移転希望者の22%、また、自力再建が困難な被災者向けの災害公営住宅の整備は40%であり、今後順調に進んでも必要な住宅の整備が完了するまでには少なくとも後3年以上は必要と言われている。 上記に見る通り、政令指定都市として事業推進力のある仙台市や住民主体の議論が復興の歩みをリードした岩沼市、震災前から協働まちづくりの主役であった市内8地域の分権型自治組織が共助と住民合意に大きな力となった東松島市などは高い進捗率にある。しかし、被災地域が市中心部、内陸部、半島部と広範囲におよぶ石巻市や気仙沼市、女川町などでは数も多く遅れが目立つ。 住まいの整備がピークを迎える中、当初の計画と被災住民の希望とのずれが広がりを見せ苦慮している自治体もある。家族の分散、高齢化、所得減で住まい再建を諦め災害公営住宅に変更したり、家賃負担のかかる公営住宅での入居をためらう世帯が時間の経過とともに相次いでいるからである。 2,3例を挙げてみる。県南の亘理町は5地区で造成した集団移転分譲宅地の約1割(20戸分)に空きが生じ、完成した災害公営住宅も4分の1(117戸)が埋まらない。また、山元町は当初計画を縮小したが、3地区の分譲宅地のうち約3割(85戸分)が宙に浮く一方、災害公営住宅は484戸の募集戸数を上回る見通しにある。 石巻市の半島部では高台61地区で1,785戸分の宅地造成を計画したが、希望を取り下げる被災者が続出し48地区1,261戸まで縮小した。ただし、現状では3分の1の地区で高台移転の世帯数が10戸に満たない小集落であり、しかも、住み続けることを希望するのは高齢者が多く、集落存続の危機にさらされている。 一方、土地区画整理事業の進み具合は10%に満たない。津波被災地で道路や用地の地盤かさ上げを伴う事業であり、上物建築までには時間を要するため地権者間の折り合いも難しく未着工も見られる。また、市街地再開発事業についても、再建を果たした商店主がいたり、保留床の処分見通し不安などから、石巻市中心部では6カ所の計画のうち3ヶ所が白紙に戻されており、商店空洞化にさらなる拍車がかかるものと懸念が広がっている。 ■時間のかかる多重的津波減災対策 津波で被災した沿岸部は防潮堤、海岸防災林、かさ上げ道路などの多重的な津波減災対策で護る計画である。 ![]() 出典:「宮城県震災復興計画」
県内の海岸総延長は827km、このうち156kmが防潮堤で護られていたが、約3分の2の101kmが損壊し、新設を含め240kmを整備する計画である。 仙台空港のように沖積平野で内陸部へ奥深く行っても高台が見つからない仙台湾南部海岸線南北20数kmには、高さ7.2mの大防潮堤がいち早く完成した。しかし、県北部は海と生活をともにしてきた地域が多く、生活・自然環境、景観が損なわれるとの問題提起が なされ折り合いがつかない。特に9.7mを超える巨大防潮堤を予定しているリアス式海岸では、これに賛同する被災者と、「高台移転で人が住まなくなった沿岸部や耕地放棄地、無人島を護るために貴重な予算を割く必要があるのか」「避難通路や避難ビルを優先すべき」と言った意見の対立もあり、防潮堤を巡る議論は迷走し県内沿岸部の海岸保全対策は20%の完成に過ぎない。 海岸防災林は櫛の歯が欠けた姿をさらしているが、クロマツ育苗事業が塩害に苦しみながらも本格的に始まった。特に仙台湾南部海岸は水位が高く深く根を張ることができないため、農水省が2mの基盤整備を行いその上に30pに育ったクロマツの苗を移植して行くという息の長いプロジェクトである。 堤防機能を持たせる道路のかさ上げは最後の砦であり、津波被災地での復興まちづくり(商業・業務施設)には欠かせず、また、津波被災地を居住禁止の災害危険区域と現地再建可能区域に分ける境界線(線引き)の役割も持つ。県内で総延長100kmのかさ上げが計画されており、仙台湾南部の沿岸部県道(高さ約6m、上部幅10m、底部幅30〜40m)や復興まちづくりが本格化した石巻市、気仙沼市、女川町などでまちづくり用地の地盤かさ上げと並行して進められている。 ■食品・水産加工業 設備復旧なるも販路回復・人手確保に難 被災地で震災前の売り上げを取り戻した企業は建設業で72%、運輸業で48%、製造業で40%とされるが、沿岸部の産業の柱である食品・水産加工業は約20%と大きく立ち遅れている。 漁港の96%が陸揚げ可能となり、県内主要魚市場の水揚げ量も88%まで回復した。水産加工業の設備復旧も進んでいるが、総じて加工品生産額はようやく半分といった状況にある。最大の要因はいったん失った販路が戻らないこと、住まいと仕事をなくし地元を離れたり、比較的賃金単価が高い建設業などに流れた人手が帰ってこないことに尽きる。水産都市気仙沼市の場合、水産加工業従事者は震災前の約4,000人から1,500人に減った。また、養殖業は、高いシェアを持つわかめで設備が74%、生産量が71%、かき(石巻市)で設備が62%、生産量が80%まで回復しているが、販売面では、県内の生協などでも震災後並んだ他県産からの切り替えが思うように進まず苦労している。 復旧投資を機に省力化や商品の高付加価値化に向けた設備の高度化と合わせ、逆境をばねに生産から製造、販売までを地域で取り組む6次産業化に力を注ぐなど、現状を変えようと挑戦するケースがある一方、原料供給に近い加工を主業としている企業などはなかなか一歩を踏み出せず、無理な値引きにより売り上げようとして競争に巻き込まれるなど厳しい状況にあり、被災地の中でも格差が広がっている。 このような中、復旧した主要漁港の水揚げ観測から、漁場のがれき撤去や漁港と魚市場などが復旧するまでの間の一時的な休漁が、沿岸・沖合の主要魚種の資源状態(量、体長など)に劇的な改善をもたらしていることが分かった。これは多くの漁業者の苦難の代償ではあるが、海が本来持っている生産力を再認識させられると同時に、これからの資源管理の在り方に一石を投じるものとして注目されている。 ■農業復興 二極化の様相 被災農地及び排水機場などの農業用施設は、干拓農地や河口周辺など被害が甚大な一部の地域と、農地復旧と圃場整備を並行して進めている地域を除き8割方復旧した。保肥力や肥沃度に乏しい山土で客土せざるを得なかったため米作営農再開ができず、暫く大豆などで様子見の農家もあるが、農地の大区画化など「攻めの農業」の試み・実践が徐々に進んでいる。一方、小規模農家の離農問題や集団営農組織においても震災前から課題であった担い手の高齢化、後継者不在が顕在化し、また、住宅整備の遅れが営農再開に与えている影響も無視できず、復興は二極化の様相を呈している。 ■第2ステージ移行に当たり“自立”を強調する前に 「集中復興期間」(2011年〜2015年度)が残り10ヶ月を切った6月24日,国の復興推進会議は2016年〜2020年度を「復興・創生期間」と位置付け、一部事業で地元負担を導入し(事業によって最大で3.3%)、この間の総事業費を6.5兆円とする方針を決めた。 2011年秋、当時の民主党政権が復興事業を国が全額負担する方針を決め、その後の自民党政権も予算を拡大したが、集中復興期間終了後の方針は明確にしてこなかった。このため、過大な復興計画と事業費負担の膨張を招いたとして制度の見直しを求める声が一部に上がっていた。また、自治体レベルでは、期間内の着工にこだわって急ぐあまり、地域や被災者ニーズの見極め、調整を欠いたまま走り出した感は否めず、計画の策定や事業の実施に歪みが出ていたことも事実である。 地元負担は、特に財政力が脆弱な沿岸部自治体の強い要望を受け、二転三転のうえ総事業費の0.34%に抑える形で決着をみた。この政策転換を機に、ミスマッチが顕在化している住まいや復興まちづくり、住民の合意を得られず難航している防潮堤整備などの事業見直し、方向転換に繋げることができるのか、注目されるところである。 この議論の過程で、復興相の「全額国というのはモラルハザードの原因」「自分のまちは自分で復興するという“自立”の気概を持ってもっと一段と必死のギアを上げるよう強く求めたい」といった一連の発言で“自立”が強調され、「自立」に向けて歩みを早めようと努めている被災地の神経を逆なでした。また、この発言を巡っては、沿岸部自治体首長と被災者の反発・反論に加え、「負担が伴わないと当事者意識が薄くなり地域の実情に合った住民参加型の事業に結びつかない」(寺田前秋田県知事)「一般論として、負担を伴わないと真剣な議論になりにくい」(和田東北公益文科大教授)などの識者の意見が紙面をにぎわした。 しかし、よく考えてみると、そもそも避難した被災者がようやく仮設住宅などに分散入居し、明日からの生活を思い描けずにいるような混乱の時に策定された「わがまち」の復興計画に、復興相が言う“自立”の気概で当事者意識を持って参加できた被災者はどれほどいたであろうか。また、5年目に入ってなお県外を含め避難生活をおくる人が64.7千人、プレハブ仮設入居者が30.2千人いる現状は想定されていなかったとはいえ、集中復興期間の終了は被災地の復興が当初通り進んでいることが前提となるべきではなかろうか。人手・資材不足と労務費・資材高騰などもあり、復興の進捗状況の認識では被災地と政府では概ね2〜3年のずれがあり、新しいステージに進むスケジュール自体が被災地の歩みとマッチングしていないと感じた県民は多いはずである。 また、自治体それぞれに被害状況、人口流失の度合い、財政力など事情が異なる。市街地全体が壊滅した自治体や半島部など広範囲に被害がおよんだ自治体の復興が遅れるのは当然で、すべての自治体に同じ5年間の集中復興を求めていいのかといった疑問もある。 さらに、復興庁は、阪神・淡路大震災と比較して特別扱いであることを強調したが、阪神・淡路大震災では都市部が主な被災地となったのに対し、今回は過疎や地域産業の衰退といった自立阻害要因を抱える沿岸地域が大きな打撃を受けた。東日本大震災は大津波による広範囲にわたる“土地被災”であり、多重防御施設の構築、他所での用地探しと造成を必要とする。産業構造も自治体の財政力も大きく異なり、同列に見ること自体無理があると言える。 「自立」に踏み出そうにも基盤が整っていない。それが実情であることをしっかり押さえたうえでの議論がなされず、次のステージへ歩むスケジュールと、“自立”の証しとしての地元負担にだけ焦点を当てた議論に終始したように思えて残念でならない。 5年目に入りようやく落ち着きを取り戻した被災者の中には、国の防潮堤整備計画を疑問視する者、買い物弱者を生み出す職住分離のまちづくりについて行けない者などが積極的に問題提起する、そのような姿が見られるようになった。「被災者はどのような暮らしを望み、次代にどのようなまちを残したいのか」(寺田前秋田県知事)、いま一度地域ニーズ、被災者からの発想でしっかり考える時が来ているように思う。 なお、国は、この「復興・創生期間」で地方創生の新たなモデルを生み出すことを目指している。「働く力」、「地域の総合力」、「民の知見」を引き出して、震災前から自立が困難であった地域の自立を導き、その成果を全国の同じ問題を抱える地域の振興策に生かそうというものである。より一層の創意工夫ある取り組みが求められているところである。 震災の記憶の風化は確実に進んでいる。地元では毎月11日に特集を組むなどの報道を目にするが(「月命日放送」とも言われている)、被災地を遠く離れた地域では少ない。報道されても復興なった姿の紹介が多く、被災地の実態は知られない。情報が発信されずに風化が進むことは正確な情報が届かず、未だ深刻な状況にある風評被害を払拭できないことにも繋がりかねない。 被災地を歩くと、被災者の涙ぐましい知恵と努力によって、震災前からあった自治組織の総意を活かしたまちづくり(東松島市)、コミュニティーぐるみの集団移転(岩沼市)、助けを必要とする世帯とこの世話をする世帯が隣同士になれるペア入居(山元町)、高齢者や弱者の見守りサポート(女川町)、地域に眠っていた文化や風習の見直しによる新たなビジネスの創設(亘理町)などの素晴らしい成果を見ることができる。しかし、一方では、復興が進展するかげで前に進めない被災者がいて、もともと高齢化率が高い沿岸部では時間の経過とともに現実の壁が高くなっている。コミュニティーが弱くなって人と人との繋がりが希薄になり、復興を巡っての対立や格差が生まれてもいる。それだけに、被災者の暮らし再建の支えや前に進めない弱者に寄り添うソフト事業がより重要になっているが、その行方はなかなか見通せない。第2のステージへ進む予算議論の影響で後退することがないことを切に願うばかりである。 以 上
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