◆特別寄稿◆ 復旧から復興へ(宮城県を中心に・8月11日付) 東日本大震災から,1年半余りの被災地の状況についての現況報告である。 2012/8/11 渡 辺 陽 一 東日本大震災から2度目の夏を迎えたが、宮城県内の海水浴場で海開きができたのは気仙沼市の離島大島小田の浜1カ所である。 復興のための組織、資金も確保され、復興への枠組みは整った。 復興のビジョンを描く段階から実際に物事を進める段階に移りつつあるが、まだ多くの課題を抱えており、今そのスピード感が最も求められている。 復興庁は国の縦割り行政を打破し、被災地再生の司令塔になれるのか。 復興事業は将来のまちづくりそのものであるが、各自治体の復興計画が10年、20年先の東北のあるべき姿を見据えたものであるのか。 ハード面での復興に偏り、血の通ったソフト面での復興が置き去りにされていないか。 規模の大きい中央企業に発注が流れる懸念、資材の値上がりや建設労務を含む人手不足による人件費の急騰も指摘されている。 このところ、九州北部豪雨被害など、「これまで経験したことのない」、「想定していなかった」自然災害が各地で相次いでいる。 それもあってか、原発事故≠ヘ見えない恐怖により忘れられることはないものの、全国メディアで津波被災地の立直りの困難な状況に触れることがめっきり少なくなり、懸念された「風化」が現実のものとなりつつある。 常任幹事から、引き続き復旧・復興の現状と問題点をリポートするよう依頼があった。 震災後の東北の経済、産業、地域の状況については熊谷建一さんの地域だよりに紹介されている。 ここでは、全国のマスメディアではあまり報道されていない、震災廃棄物(がれき)活用の動き、沿岸部被災地のまちづくり(住まいの再建)の問題点、基幹産業である農業・水産業再興の見通し、復旧・復興にまつわる幾つかのトピックスを取りあげてみたい(進捗率、着手率などは7月発表の「宮城県復興進捗状況」による)。 *「復興予算」執行は6割どまり 復興庁が発表した「2011年度の復旧・復興予算の執行状況」によると、総額15兆円のうち約6兆円が残り、このうち約1兆1千万円が国庫に返納されるという。 巨額の予算が復興事業の円滑な実施につながっていない事情が浮き彫りになった。 津波被災地ではあるだけで復興の妨げになる震災がれきの処理が急務で、まちづくりや仕事、暮らしの再生、そのために必要な多重防御施設の再構築、沈下した地盤のかさ上げなどが遅れている。 一方、「第1回復興交付金」の交付を巡り、制度と現状のずれや被災地の要望と国の考え方とのミスマッチ、目指すべき復興の姿を被災地と国が共有できていない実態が明らかになったように、政治の足踏みにも一因あることは否めない。 あらためて復旧から復興に進む被災地の声を吸い上げ、課題を復興施策に結び付けると同時に、国と自治体の緊密な連携が求められているところである。 *「不燃性がれき」盛り土材活用にめど 沿岸部の仮置き場に山のように積まれたがれきは一向に減らない。 2014年3月末の処理完了が危ぶまれていることに変わりはなく、目標達成には広域処理の順調な進展が欠かせない。 宮城県は仮置き場への搬入率が85%、処理・処分率が21%と発表した。 このうち、木質がれきなどの可燃物は埋立を原則禁じる廃棄物処理法が壁になり、沿岸部に30基近い仮設焼却炉を設けて24時間フル稼働で焼却処理し、各自治体の一般廃棄物処分場へ運び込んでいるが、津波による土砂堆積物(ヘドロ)や損壊家屋の解体などで発生したコンクリート片の不燃物は、広域処理の引受先も少なく最終処理が進まずにきた。 しかし、最近になって仙台市と東北地方整備局が試験施工の結果、コンクリート片と土砂を混ぜた再生材を、海岸堤防復旧や沈下した地盤・道路のかさ上げ、海岸防災林再整備に活用する見通しがつき、手始めに、多重防御策の柱となる県道塩釜亘理線のかさ上げ工事に活用されることになった。 処理の加速にめどがつき、あわせて不足が懸念されている盛り土材の確保にも資するものとして期待がかけられている。 また、水産庁が壊された防潮堤のコンクリートがれきをモルタルでブロック状に固め、輸送費負担の少なくて済むがれき発生近場の海藻等の増殖礁として再生する実証試験を行っており、これにも期待が寄せられている。 *「集団移転と現地再建」住民の合意形成、移転先探しが壁 仮設住宅は、宮城県の場合、プレハブ2万2千戸(5万3千人)、借上げ2万6千戸(7万1千人)---他に県外避難9千人---と数の上では足りている。 また、災害救助法の規定する最大2年の供与期間を延長することも決まっている。 しかし、元の生活を取り戻すためになりわいの再生と合わせて急がれる住まいの再建は遅々として進まず、三陸沿岸では痺れを切らして他へ移転し人口減少に歯止めがかからない市町もある。 阪神・淡路大震災と異なり、土地から手当てしなければならない被災者が圧倒的に多く、用地不足や住民の合意の難しさが壁となっているほか、自治体の職員不足や国の復興交付金が遅れた影響も出ている。 自力での再建が困難な被災者には災害公営住宅を用意することにしており、宮城県では1万5千戸を計画しているが、県内10市町の事業着手率は12%(20地区1700 戸)とまだ僅かである。 一方、自立再建を基本とする沿岸部でのまちづくり(住まいの再建)は、高台や内陸部へ移転するか、多重防御策を講じて元の場所で再建するか、およそこの2通りで計画されている。 前者の、津波で甚大な被害を受け住宅の新築や増築のできない災害危険区域に指定され、高台や内陸部のより安全な場所へ集団移転を計画しているのは、宮城県内で110地区(1万3千世帯)に上る。 これまで岩沼市、仙台市、気仙沼市、石巻市、東松島市の5市27地区が「防災集団移転促進事業」として国の同意を得ているが、造成工事の着工にこぎ着けたのは岩沼市事業1件にとどまっている。 仙台市の事業を紹介してみたい。 津波で建物、田畑の殆どが流され大きな被害を受け災害危険区域に指定された、東部沿岸地域の宮城野区と若林区合わせて7地区の全世帯(1千7百世帯・約4700人)を内陸の安全な場所に移転させる大掛かりな集団移転計画である。 津波を止める役割を果たした仙台東部高速道の西側(内陸部)の14地区を市が整備し、約1千世帯がここへ移り、370世帯は災害公営住宅へ、残りの世帯は独自に移転先を確保するというものである。 しかし、移転対象となる地域では一部の住民が半壊状態の被災住宅を修理したり、田畑がある現地での再建を主張して意見集約が難航しており、市は全員同意を原則にして住民との対話集会を繰り返しているが、時間を要しそうである。 気仙沼市内では40地区ほどで住民主導型の集団移転が進められていると聞き、友人に調べてもらったところ、多くは地縁と血縁が強い漁村集落に限られており、多様な住民が暮らす市街地は合意形成が難しいうえ、地区住民同士のコミュティーへの配慮、世帯数に見合う移転先用地の確保難もあり、多くは議論が進んでいないのが実情である。 後者の、津波浸水域をかさ上げするなどして現地再建を目指す「復興土地区画整理事業」は、県内13地区で計画されている。 このうち、震災前2千1百世帯、6000人が暮らしていた仙台市隣接の名取市閖上地区121.8fは、高さ7.2bの堤防を構築したうえで、地区を南北に貫く貞山堀(運河)を境に東側の海寄りの地区を非居住区、西側の内陸寄りの地区を3bかさ上げして居住区として整備する区画整理事業として3月に都市計画決定を受けた。 すべてを失い土台だけが残っている港町の一角に、高さ3bのモデル台地を造成し市民への説明会が行われている現場へ行ってみたが、高さ8.5bの津波が襲い740人の犠牲者を出し、しかも1b近く地盤沈下している現地での再建に対する不安から、市の担当者に厳しい声が浴びせられていた。 結局いまだ合意取り付けに至っていない。 市は市民が暮らす仮設住宅を回って個別説明を行っているが、事業認可の見通しが立たないため、現地再建の方針は維持しながら、希望者は地区外への集団移転を認めることも選択肢に入れて再検討を迫られているようである。 阪神・淡路大震災の復興の際も問題とされたが、区画整理事業は減歩、換地など権利調整に時間を要し、事業が長期化する懸念が指摘されている(同震災では最長14年)。 加えて、閖上地区のように周りに避難する高台や高層建造物がない津波被災地での現地再建は、安心安全のまちづくりに向けた多重防御策の再構築が先行して初めて成立つものであり、課題が多い。 *「農業」創造的な復興に舵を切れるか 東北の基幹産業である農業は津波により大きな被害を受けた(塩害、地盤沈下、表土の喪失、細かいがれき点在の四重苦)。 仙台平野を中心に県内の除塩を含む農地の復旧着手率は51%、被災した農業用排水機場は47カ所のうち15カ所で本格的な復旧工事が進められている(着手率32%)。 復旧にともない一部には100万都市仙台を視野に入れた「地産地消」、「産消連携」をキーワードにした地域営農の組織化の動きもみられ、また、塩分を吸収する綿花や塩トマト、除塩の必要がない養液栽培による野菜や花卉、漢方薬草づくりなどの先進的な農地利用の試みも芽生えつつある。 しかし、この震災からの復興を機に、従前より課題を積み残したままの農業の近代化に背水の陣で取組むという方向にはどうも行っていない。 仙台市は、東部地域の一部で、農地所有者が自ら耕作する「自作農主義」から脱却し、農地の「所有」と「利用」を分離し大規模経営が可能な担い手に委ねる土地利用調整による農地集約を計画している。 しかし、農協で訊くと、仮設住宅暮らしで生活再建さえままならず、地域営農の将来に思いをはせにくい農家も少なからずいるとはいえ、震災直後にいったん集約営農を希望した農家も、復旧作業の進展を目の当たりにして個人の土地所有の意識が復活するなどし、農家の反応は盛り上りを欠いているという。 小規模な兼業農家を手厚く保護する助成策など、時代遅れの諸制度、考え方が足かせになっていることは否めなく、これらを時代に即した視点から見直すことなくしては創造的な復興へ舵を切ることは難しいとの思いを強くした。 *「水産業」の本格的な復興 地盤かさ上げと漁業権の更新待ち
県内142の漁港のうち復旧工事に着手できたのは35漁港(着手率25%)と少ない。 県知事の漁港集約化方針に沿ったものかどうか、県管理漁港がこのうち6割を占め、主要漁港では地震で沈下した水産加工団地の地盤かさ上げ工事など生産基盤の整備が急ピッチで進められている。 漁船は震災前の62%まで稼働隻数を戻しているが、水産都市気仙沼漁港の冷蔵庫収容能力が30%しか回復していないのをはじめ、主要漁港の水産加工の生産拠点は機能を回復しておらず、従って、県内5つの主要魚市場(いずれも仮設市場)の水揚げ量は金額ベースでまだ震災前の5割に届いていない。 水産業も農業と同様震災前から課題山積であり、県知事は震災を再出発の機会と捉え、明年9月の漁業権更新時期に合わせ、漁協が実質上独占している沿岸漁業権を民間企業に開放する「水産業復興特区」を導入する方針を表明している。 漁業とすそ野の広い水産加工業は車の両輪である。 民間の資金・ノウハウを水産業再興に活用できるかどうか、その成否が衰退産業から持続的に発展できる産業に変える鍵を握っている。 *「山津波」盛土で全壊、切土の26倍超 地震に伴う大規模な地盤崩落(地割れ、地滑り、がけ崩れ)や擁壁倒壊など、いわゆる「山津波」の被害が出た住宅地は、仙台市内だけで5千カ所を超えた(県内25市町で6千余カ所)。 多くは「造成宅地滑動崩落緊急対策事業」と「災害関連地域防災がけ崩れ対策事業」などの公共事業として復旧が進められているが、中には市が現地再建の困難な団地(太白区緑ヶ丘4丁目の一部地区)を災害危険区域に指定し、集団移転や単独移転に際し津波被災地同様の支援を検討するケースもみられる。 先般、東北大が甚大な被害が出た仙台市内の団地(南光台、鶴ヶ谷など)で調査・分析を行い、斜面や谷間に土を盛って造成した「盛土」地盤に建つ住宅が全壊した割合は、山を削ってならした「切土」地盤上の住宅の26倍以上、また、盛土、切土の境界(切盛境界)の住宅全壊割合も切土の25倍超であったという、団地の住民には大変ショッキングな報告があった。 地盤工学の森助教は「盛土地盤のすべてが危ないわけではなく、盛土の厚さや旧地形の傾斜角、地下水位などが関係してくる。 十分調査のうえ各々の現場の実情に合った効果的な対策が必要。」と訴え、今後もできるだけ多くの団地の調査・分析を続けて行きたいと話していた。 団地造成に関わったことのある知人の建築士によると、昭和40年代前半までは山を崩し雑木林もろ共谷間にブルで埋める盛土造成が多く、盛土地盤であるか切土地盤であるかの説明もなしに宅地販売がなされていたとのこと。 あらためて点検する時がきていると云えよう。 *「JR在来線」一部BRTで仮復旧 鉄道は宮城県内で復旧が一番遅れているインフラである。 線路が残ったエリアはほぼ復旧しているが、架線や駅舎ごと流失したエリアも多く、県内在来線5区間が運休のままである。 このうち、気仙沼線柳津〜気仙沼間(55.3`)はバス高速輸送システム(BRT)による仮復旧が決まり、8月20日から線路跡地を利用した専用道(2.1`)と国道45号線を使用して暫定運行を始めることになった。 所要時間は震災前の鉄道(1時間30分)に比べ30分ほど余計かかるとのこと。 鉄道での本格的な復旧を望む沿線住民の意向をくみ仮復旧としているが、鉄道での復旧見通しは立っていない。 常磐線の浜吉田〜亘理間(5.0`)など津波避難対策にめどがついた区間については現行ルートでの運転再開を目指すが、仙石線や石巻線、女川線の一部区間、常磐線の宮城・福島県境区間は内陸部へのルート移設によって復旧を目指す方針。 しかし、駅と、住民が新たな住まいとする高台までの間の避難路の整備やまちづくりの関係で、ルート調整と用地取得に長期を要するものとみられている。 *「有形文化財」被災で登録抹消 震災で損壊した東北の登録有形文化財の建造物5件について文科省文化審議会から登録抹消するよう答申が出された。 津波で流失したり、倒壊の恐れがあるとして解体したり、復旧資金に窮して解体したりと、それぞれ事情は異なるものの、いずれも地域の歴史とともに歩んできた建造物だけに惜しむ声が寄せられている。 過去に立寄られた方もおられると思うので紹介してみる。 ・角屋旧酒造工場(気仙沼市) ・佐藤家住宅板倉(気仙沼市) ・荒巻配水所旧管理事務所(仙台市青葉区) ・横屋酒造物置(岩手県一関市)---主要な施設は復旧工事中 ・旧四倉銀行(福島県いわき市) *「似顔絵公開」身元不明者判明 宮城県内では遺体が発見されながら身元が分かっていない犠牲者が180人を超える。 津波に襲われた場所と発見された場所が遠く離れていることや、家族全員が犠牲になったケースも多いことが一因と云われている。 県警は5月、6月に発見時の写真の模写によって似顔絵捜査官が40人の似顔絵を作成、発見場所、推定年齢、性別、身長、主な着衣、所持品とともに公開し、身元特定につながる情報提供を広く呼びかけてきた。 その結果、家族や知人から「似ている」との情報が寄せられ、保存してあるDNA鑑定の資料などと照合し12人の身元が特定された。 県警では損傷が激しいケース、白骨化が進んでいるケースは従来の方法だけでは限界があるため、法医学データを駆使する「復顔法」を応用してさらに40人の似顔絵を作成・公開し、情報提供を呼びかけているところである。 身元特定が一人でも多く出ることを願いたい。 *「震災孤児・遺児」宮城県・千人超える 開友会の震災支援として、本年度は岩手、宮城、福島各県がそれぞれ設けた「東日本大震災こども育英基金」に寄付が行われ、感謝されているところである。 宮城県の場合、6月13日現在震災孤児(両親を亡くす)は135人、震災遺児(片親を亡くす)が900人に上る。 これらの孤児・遺児(未就学児童を含む)の一時支給金、奨学金の基金を募った結果、5月末現在約46億3千万円が寄せられた。 県ではさらなる寄付に期待を寄せ、奨学金支給を大学卒業時まで延ばし、さらに孤児・遺児に限らず被災に逢った多くの子供たちまで対象を拡げて支援して行くことを検討しており、引き続き寄付を呼びかけているところである。 震災1年目の3月9〜11日にかけて宮城、岩手両県の津波被災沿岸部を訪ね歩いた。 3度目の縦断であった。 そのとき見聞きしたことは写真とともに開友会ホームページと私のウェブページ(http://kaiyuu.org./Jishin/)で紹介したが、PCを開かない会員もおられるので、これを一部引用しながらまとめとしたい。 阪神・淡路大震災直後にも現地に足を運んだが、大きな違いは津波ですべての物が流されたことである。 阪神・淡路の直下型はまちをめちゃくちゃにしたが、火災焼失の現場を除けば一応物はその場所にあった。 アルバムも残った。 今回はそうした記録、記憶すら流れた。 土台だけが残りまちが消えた沿岸部で漁師や高校生たちと話す機会があった。 いずこもまちが消え、まち並み、景観をなくしている。 震災前のまちの写真を見せてくれた漁師がいたが、景観は過去からの連続性であり、まちの記憶である。 漁師たちは毎日仮設住宅から元の住まいがあったまちへ出てくるが、これが一番つらいと云う。 住まいの再建、企業・なりわいの再興と都市計画の両立をどのように実現して行くのか。 1年5カ月経った今でも試行錯誤が続いている。 3月に歩いた漁村では浜のなりわいから離れ、地域が分散することをためらう心情がうかがえたが、いまだに多くの地域で安全な場所を選ぶか(移転)、流されたこれまでの居住地で再びまちづくりを始めるか(現地再建)、二者択一を迫られている。 閖上地区の現地説明会では、住まいが決まらないことには「心の復興」もないと泣きながら訴える老婆と子供を連れた主婦がいた。 涙なくしては聞けない話であった。 また、津波で犠牲者を出しながら、今後のかさ上げ道路の整備により災害危険区域指定から外れた仙台市の東部沿岸地域(若林区)2地区は、行政の支援による移転を諦めきれない一部住民が不満を強めて指定区域並みの移転支援策を求め、一方、市は住民主体の組合型区画整理事業による移転手法を提案するなど、解決の糸口がなかなか見つからないケースもある。 人筋縄にはいかないものである。 行政主体のなりわい再生支援は、例えば水産加工団地の再建事業一つとってみても、沈下した地盤のかさ上げ工事など、ハード面を優先しているようにみえる。 先月末も石巻漁港を訪れたが、石巻地区では震災前まで製造品出荷額の3割強を水産加工などの食料品が占めていた。 就業者の割合でみるとさらに比率が上がり4割超である。 しかし、信金に訊いてみると、市内約200ほどあった水産加工業者の半分以上がまだ復旧できていないという。 3月に訪ねた際も熱心な人ほど早く再起したいとの気持が強く、遅れている現状をみて外での生活再建を目指して地域を離れる動きが出ていた。 確かに生産基盤の整備は必須であるが、長期の休業を余儀なくされている業者は取引先をも失いかねない危機にある。 新たな商機の創出、販路の確保、なりわい再開までの生活支援など、ソフト面でも万全を期してやることが求められている。 復旧・復興には長期間を覚悟しなければならない。 なりわいの再生、住まいの再建が地域の振興とリンクした形で行われることを望むと同時に、「風化」されることなく、「絆」の大合唱が続くことを願うばかりである。 以上
|